富士山に登ってきました

人生一度は挑戦してみたいことって色々あると思いますが、富士山に登ってご来光を拝みたいと考えている方は多いんじゃないでしょうか。
この週末(令和7年9月6日、7日)に、富士山を吉田ルートから登るガイド付きツアーに子供たちを連れて参加してきました。
観光バスで富士スバルライン五合目に14時半ごろに到着し、登山の準備を整えた16時頃からツアー参加者総勢50名ほどで登山を開始し、途中4人ほどの方がリタイアされましたが、その他の方は順調に進み七合目にある山小屋「花小屋」に18時頃に到着しました。


山小屋で食事と21時半まで仮眠をとることになりましたが、結局1時間ほどしか眠ることができず21時半には出発となりました。
ガイドの方からリタイアの申告の受付があり4名ほどの方がリタイアしましたが、自分はお鉢巡り(富士山の山頂を1週すること)までやる42人のメンバーに入りました。しかし、この時点で結構体力を消耗していました。
ここからの登山は真っ暗闇の中ヘッドライトをつけての登山となります。七合目からは岩場となり、連続でスクワットやるようなもので、登り始めて直ぐにツアーメンバーに付いていくことができなくなりました。ガイドの方から、「せっかく来たんだから山頂まで登りたいでしょ」とありがたいお言葉を頂戴し、ツアーとは別行動で一人で登ることとなりました。
この後の登山は、息は常に上がって苦しい状態の中、少し登っては、疲労により足を上げることができなくなり、何度も足の甲をつり、転び、途中動けずに何度も立ち止まり、地面にしゃがみこみ、少しだけ体力を回復し登るの繰り返しで、下山することもできず、疲労困憊の中、登る以外の選択肢がない、必死の登山であり、リタイアしますかと言われたら、迷うことなくリタイアを選択したであろう精神状態の中登山を続けました。

九合目からは、強風の中、狭い岩場の連続で登山客で混雑しており、ツアー客は左側をそれ以外の方は右側を使い二列で登山してください、途中で立ち止まらないでくださいと繰り返しアナウンスされていました。渋滞しており歩みが遅かったのが幸いして始めは立ち止まることなく登ることができました。しかし、途中からやはり足が動かなくなり、動けず立ち止まる、しゃがんで休んでは登るの繰り返しで、山頂の鳥居が見える頃には明るくなってきました。
ご来光を頂上から見たいので早く登らねばという焦る気持ちがありつつ、頭が若干痛かったのと、疲労が激しすぎて景色を見る気力もなく、途中で写真を撮る元気もなく、ひたすらゆっくりに、でも確実に頂上を目指し登り続け、5時頃に無事登頂できました。
16時頃に登山を開始し、途中約3時間の休息を除き、登頂まで約10時間かかりました。富士山登山に成功したという喜びよりも、これ以上登らなくても良い安堵の気持ちが強く、それくらい体力的にも精神的にも限界状態でした。


何とかご来光には間に合うように山頂まで登ることができましたが、あまりに疲労困憊でお鉢巡りをやる気力・体力は残っておりませんでした。ご来光を拝み少しだけ休憩をして5時半過ぎには下山を開始しました。

下山は登りに比べれば体力的に楽ですが、それでも体力を使い果たした状態からの下山であり、ゆっくりとしか下ることができませんでした。
結局五合目スバルラインには11時に到着し、疲れ切っていることから着替え等に時間が掛かり、帰りのバスの出発(11時半)に間に合わず、名古屋まで路線バスと新幹線で戻るはめになりました。
子供たちは、ツアーメンバーと共にお鉢巡りもし、下山も私より相当早かったです。やはり若いので体力があります。それでも相当にきつかったそう。
前提なく「逃げてもいいんだよ」といった意見をマスコミを通してよく聞きます。確かに逃げることもときには必要な場合があるとは思います。しかし、簡単に逃げていては人間は成長しません。困難を乗り越えて人は強くなり、自信が付き、そして成長するもの、例え失敗してもその経験は後の人生において大きな力になるものです。今回の登山を通して、子供たちも少しは成長できたのではないかと思います。
今回の富士登山は、私の人生で最も体力的にきつい体験でした。ほんとに苦しかったです。それだけに、この苦しさを乗り越え山頂までたどり着きご来光を拝むことができた喜びはひとしおです。
また、人のやさしさ、温かさを感じることもありました。私の靴紐がほどけているのを指摘してくれただけでなく、優しく結び直してくれたツアーメンバーの中国の方らしい女性には感動しました。私がへばって苦しそうにしていると多くの人から「がんばれ」といった励ましの言葉や、「どうしたの」といった心配の言葉をかけてもらって大変ありがたかったです。一人では登頂は無理だったと思います。多くの人の励まし、助けがあったからこそ山頂までたどり着けたものと思います。